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【まとめ】新・人間革命1巻3章

●本章の本線 1960年、32歳の山本伸一がシアトルとトロントで行った、広布活動 ①初の座談会 ②英字の教本の作成手配 ③シアトルの同志が奮起したきっかけは? ④極悪登場 ⑤飛行機搭乗できず!?(モルトン空港とミルトン空港)、諸天善神の働き。 ●本章の枝線 ①テープレコーダーに秘められた心(タエコ・グッドマン) ②靴底ステーキ事件 ③伸一会長就任日が、お葬式? ④伸一在住の座談会と、伸一不在の座談会。明確に違っているはなぜ? ⑤ローザ・パークスとマーチンルーサーキング。人種差別の根本的な要因とは? ⑥仏法用語「縁起」について ⑦仏法用語「地涌の菩薩」について ⑧若者の自滅覚悟の単独テロ。その悲劇の根本理由は何か? ●P.S. 新人間革命の小説の構成 本線・・・山本伸一(主人公)の行動の軌跡 枝線・・・(本線に縁する主人公目線での)一話完結型(主に周りの人達や環境に焦点) この小説では、2つの軸(本線と枝線)の流れの中を泳ぐことになります。 主人公の日本や世界を相手取るリアルさ、その主人公を取り巻く現実とその解釈(感性)にふれることができます。 ここでは、「どの巻のどの章に、どんな内容が記載されていたっけ」を2軸(本線と枝線)という視座で整理しています。詳細は本書を開き、ご確認くださいませ。 以上

【体験談】扇子の縁(えにし)

●はじめに 一昨日、金剛堂へ訪れました。 自宅の御本尊様の前で、題目をしていると「扇子が欲しい、無性に欲しい」という思いに駆られたのです。 私は、日常で扇子を使っていませんが、なぜか、そう思い立ったのです。 そして、電車に乗り、扇子を買いにいきました。 店に到着した時、店員さんとおばあちゃんがテーブルで会話してました。私を含め計3人。 私は店の中を1廻り。目的の扇子を入手しました。 レジにもっていくと、店員さんがコーヒーを出してくれました。 少し休憩しようと、おばあちゃんが座っているテーブルの前の椅子に腰掛けて温かいコーヒーを楽しみます。 ●会話 おばあちゃんと目があいました。笑顔で答えると、会話が何気なく始まりました。 「どちらからきたんですか?」と。雑談開始です。 何してる人なの?学会員さん? こちらの方ですか?いつもこのお店にいらっしゃるんですか?などなど。 素性の探り合いから始まり、受け答えなどの人となりを交流しながら掴み合います。 するとおばあちゃんが、ポロッと言いました。 「宗教ってなんでしょうか?」と。 「おっ、」と思いました。 初対面の見ず知らずの男性である私に対し、かなり、突っ込んだことを話題に選ばれておられる。 「何か、、抱えておられる。何かを話したがっている」 姿勢を正し、おばあちゃんの目を見ながら、体を正面に向けます。 「聴く準備、整えました」をアピール。 おばあちゃんの声を待ちます。 再び深く言いました「宗教って、なんでしょうか?」 ●宗教ってなんでしょうか? ぼやっとした質問です。ですので、この質問をする意図は何か?をひっぱりだすことを目指しました。 まず、「宗教」という概念についての共通認識を揃えようとします。私にとっての当たり前を、確認して土台作りを行う。「宗教って、人それぞれの価値観で見え方違っていると思います」と。 すると意外な反応「それぞれ、そうですよね。。」と。 ん!?その部分で共通認識が違っている。 (言い換えますと、このおばあちゃんは人それぞれではない=単一である、と認識されている?) 唯一神(絶対神)のように日蓮仏法を捉えられておられるのか? それとも日蓮仏法以外の宗教との縁に悩まれておられるのか? すぐさま話を変えます。相手が切り出しやすそうなキーワードを並べてみます。 「キリスト教、イスラム教、仏教、ユダヤ教」など色...

【まとめ】新・人間革命1巻2章

●はじめに 私は新人間革命を読みながら「どの巻のどの章に、どんな内容が記載されていたっけ?」を後で取り出しやすいように整理していきます。 ●本章の本線 1960年に32歳の山本伸一が、サンフランシスコに降り立って、多くの地区を結成していったお話。サンフランシスコ在住の学会員との心温まる交流や、アメリカ同志へ3つの指針がメインストーリーです。 <補足>アメリカ同志へ3つの指針  1.市民権をとり良きアメリカ市民になっていただきたい  2.自動車の運転免許を取るにようにお願いしたい  3.英語をマスターしていただきたい ●本章の枝線 ①サンフランシスコと日本の関係って?  (日米修好通商条約、サンフランシスコ講和条約) ②政治と宗教の次元切り分けのポイントとは?   (岸内閣による日米安保条約(不平等条約)の改正と、警職法、全学連の学生運動) ③黒いジェット機事件とは ④初めに作る組織。あなたなら何を作る?  (学会の前線基地であり日常活動のいっさいの機能を持つ組織とは?) ⑤学会のお金の扱いって?  (訪問幹部にご馳走するために皆から集金しがたユキコ・ギルモアさんへの伸一の指導) ●P.S. 新人間革命の小説の構成 本線・・・山本伸一(主人公)の行動の軌跡 枝線・・・(本線に縁する主人公目線での)一話完結型(周りの人や環境に焦点を当てている話) この小説では、2つの軸(本線と枝線)の流れの中を泳ぐことになります。主人公の日本や世界を相手取るリアルさ、その主人公を取り巻く現実とその解釈(感性)にふれることができます。 以上

【まとめ】新・人間革命1巻1章

私の捉え方になりますが新人間革命の小説の構成は2つの流れがあります。 1つ目は、本線の流れで、山本伸一(主人公)自身の広布活動 2つ目は、枝線の流れで、(山本伸一自身の行動が縁となって発生した山本伸一ではない)サブ主役の短編小説(一話完結型の話) 新・人間革命を読み進めていくと、この2つの軸(本線と枝線)の流れの中を泳ぐことになります。 そして、普段考えないこと・気づかないことに触れ、現実を見る目(感性)を高めることができます。著者である池田先生は、世界の人をターゲットにした枝線の選別や表現にも心を砕かれていることが随所でわかります(日本人”だけ”向けの書籍ではない)。 他にも多くの宝が眠っている本だと思います。 そのため、私は何度も読んでいますが、その都度気づくことがあり、池田先生の思慮の深さや配慮の広さに驚かされます。 ●新人間革命1巻の1章(旭日)を取り上げますと、 (A)本線 (一言でいうと、この1巻1章は)1960年に32歳の山本伸一が、世界広布の第一歩としてハワイ訪問を行った話が記載されています。 (B)枝線 ①世界広布の展開に必要な準備(翻訳、連絡網など)って? ②日本とは異なる文化圏の人たちへ何を配慮する? ③(仏法の法理の一つである)随方毘尼(ずいほうびに)とは? ④ハワイ在住の日系人が受けた戦争の辛酸 ⑤ヒロト・ヒラタさんの功徳体験(祈りとして叶わざるなし) ⑥海外で生活をする日本人の持つ悩みと伸一の激励(謗法と謗法でないことの境界って?) といった内容が記載されています。 ●今後、 私の読書感想を進めていきます(大学校でもチャレンジしたい内容です) 。 そして、「どの巻のどの章に、どんな内容が記載されていたっけ」と頭に残しておきたい(自在に取り出したい)ため、この2軸(本線と枝線)という視座で、後で取り出しやすいように整理していきます。 人に奨めたい本ですから「何が書かれている本なの?」に対して明確に答えれるように準備しておく、という目的もあります。 以上

【池田先生ご指導】個人指導前の基本姿勢

池田先生が、新人間革命(27巻、296ページ)にて、個人指導の基本姿勢についておっしゃっています。 新人間革命って、「あるシーン」に縁した時に「自身がどうしたらいいんだろう」と思ってからが面白いんですよね。 池田先生の視点からみた「あるシーン」とそのシーンに対する「具体的な行動」と「結果」が記載されています。現実に起こりうる課題や問題の捉え方や、対処の要諦が 疑似体験できる点が面白いです。 ●個人指導の基本姿勢 ①決して、感情的になってはならない  指導する側が感情的になれば、指導される側(学会員)は心を開こうとはしなくなる。そうなってしまうと、どんな言葉(指導、激励)も届かない。 ②個人指導は、どこまでも信心の確信が根本である  指導する側の大確信をもって、相手を揺り動かせる。結果、触発していくことになる(その後、理路整然とした説明も活きる)。 ③相談を受けた内容を他言しては、絶対にならない  相談を受けた話が漏れれば、学会全体に対して不信が生まれる。広宣流布を破壊する重罪となる。 ④粘り強く、包容力豊かに、指導の任に徹していく  活動に参加していない人のお宅にお邪魔し個人指導したからといって、すぐに発心することはまれ。だから、折をみてまたお伺いして、根気強く、励まし続けていく。  そして、個人指導によって相手の方が奮起した場合でも、その後どうなったのか、悩みは克服できたかのか、と心を砕き、電話でも手紙でもよいから連絡をとっていく ⑤抜苦与楽こそ、個人指導の大目的である  さまざまが悩みをかかえて苦しんだ末に指導を受けている。だから、指導する限りは「その悩み、苦しみが少なくなるように励ましていく」 私の備忘録に近い投稿です。私が外に出ている時に、この箇条書きを読み心を整えるために。 以上

【2022年4月座談会御書】四菩薩造立抄

私がもし座談会で御書講義を行うならば、以下のようにお伝えしようと思います。 (過去の大白蓮華、聖教新聞を参考として)私の個人的見解も含まれております ●スクリプト 大白蓮華の52ページを開いてください。 今回の拝読御書は、 四菩薩造立抄(しぼさつぞうりゅうしょう)です。〇〇が御書講義にチャレンジさせていただきます。 御文(おふみ)です。 そうじて にちれんが でしといって  ほけきょうを しゅぎょうせん ひとびとは にちれんがごとくに しそうらえ さだにもそうらわば  しゃか たほう じっぽうのふんじん じゅうらせつ  も おんまもり そうろうべし ●通解(つうかい)です そうじて にちれんのでしといって ほけきょうを しゅぎょうするひとびとは、 にちれんのようにしなさい。 そうするならば、しゃかぶつ たほうぶつ じっぽうふんじんの しょぶつ じゅうらせつにょ も かならず しゅごされるであろう ● このお手紙は、1279年に58歳の日蓮大聖人が山梨県の身延山中から 千葉県の弟子の中心者である富木常忍へ送ったものです そして、今回の範囲ですが、その前後である御書の内容がかなり関連しているのでそちらをご紹介します。 新版御書では1338から1341ページに該当しており、3つの章から構成されるお手紙です。今回の拝読御書は2章です。 ● 1章は、富木常忍からの 「末法につくられる像(末法の釈尊や四菩薩の像)はいつ建立されますか?」 という質問に対して、大聖人がお答えされています。 「末法の初めに菩薩のリーダーが出現して造立する。そして大聖人がその菩薩のリーダーである」と。 (そして、このお手紙の前に、大聖人はすでに曼荼羅本尊を顕したと「勧心本尊抄」にあります)。 いつ建立も何もないのです。像の認識が違っているということです。いわゆる「"モノ”信仰になってしまっている」。 富木常忍たちは、己心の”外”に法を求めようとしている節が見られるのです。 つまり、富木常忍たちは大聖人からずれてしまっている状況なのです。 おそらく、富木常忍やその周りの弟子は 「鎌倉時代当時の他の宗派の仏像乱立の状況に影響を受けて、他の宗派のような人型の像がないと思い込んでいる。日蓮大聖人とは違う、独自の説(”モノ信仰”)に傾きつつあった」ことが推察されます。 同じページの御書内に「もっての他...

富木尼御前御返事(ときあまごぜんごへんじ)

 <はじめに> 日蓮大聖人から富木常忍の奥様(尼御前)へおくられたお手紙です。 富木常忍が大聖人の所へ、他界された母の遺骨をもって訪れました。 その時、富木尼御前(奥様)は具合が悪い状況でした。 その帰り道に富木常忍にこのお手紙をもたせました。 一家のお母さんで、お嫁さんで、義理の母を介護して。 <私の視点> このお手紙(新版御書の1316~1317ページ)を読んだ時に、アレ?!と感じました。 それは富木尼御前を名指しでお手紙を書かれている、という点に。 富木夫妻宛ではなく、です。 大聖人のなされたことです、何か理由があると思いました。 まず、この手紙を受け取った時の状況を整理してみます ①(奥様)は体調を崩していた ②夫がそのタイミングにいなかった(日蓮大聖人の元へ訪れていた) ③夫の母(奥様から見て義理の母)が亡くなっている、ということは奥様が介護をされていた。 次に、大聖人から届いたお手紙の内容(少し砕いた表現で)を整理してみます。 ①矢が飛ぶのは弓のおかげです、夫の活躍は妻のおかげです。 ②夫をみれば妻もわかる。夫が訪れてきたということは、妻のあなたも訪れてきているとみています ③夫(富木殿)が言っておりましたよ「母上が亡くなったのは悲しいですが、妻が手厚く看病してくれたおかげで、その臨終の姿がよかった」と。大変喜ばれておりましたよ。 ④病がある人でも世の中の無常(この時、蒙古到来中)にはさらされる。そのときには、今心配をしていない人も、心配せざるをえなくなるだろう。 ⑤私達は(妻のあなたも)必ず仏になること疑いはないから、何の心配がありますか。釈尊の義母( まかはじゃ は だいびくに、というTHE婦人部 )に続いていっていってください。題目です。すべて題目です。 <私の感想> これら(状況と内容)を考慮していますとみえてくるものがありませんか? 大聖人が「今までの尼御前の心労」を汲み取られております(その場にいないのにこれだけのお手紙を書けるのですから)。 そして「これからの尼御前の心労」を和らげようと、励まそうとなされている。 大聖人は、かゆいところに手が届くというか、一番その奥様に必要な言葉を選んで届けられている(実際に、尼御前がそこを気にしていたのかは私にはわかりません、しかし大聖人はピンとくるものがあったんじゃないでしょうか) だから、 2...

戸田先生のご叱咤2連撃

  ●<はじめに> 私は、自身の個人事業を元に法人化を計画しています。 そのため、過去の創業体験(5種類)の失敗・成功を思い出しつつ、題目を上げながら以下のように思考を進めていました。 ①一つ一つ頭によぎっていることを、粒度を問わずノートに書き出します。 ②書き出されたものを見ながら、気づいた粒度を細かくしたり、 荒くしたりして今の私の境涯から見た目標をより具体的にしていきます(心の赴くままに) ③その目標を達成するための具体的な手段や、必要となる縁(準備物)をイメージして書き出していきます。 あっというまに2時間程度題目があがりました。 頭の整理(計画、具体的行動のイメージ化)が少し進んだので、一息入れました。 ●<働き者、諸天善神> その直後、(休憩がてら)何気なく見たSNSのトップに戸田先生のご指導が。 『 本部で厳しく禁じているにも関わらず、学会員同士で共同事業を行うという幹部がいるとすれば、それは真面目に信心即生活を実践していない証拠です。 』 ドキリ。 『 信心していれば、事業の方はなんとかなるだろう、学会活動さえしていれば棚からぼたもち式になんとかカネも手に入るだろう、そんな甘い考えでいるのは大謗法です。信心が強くなればなるほど、金銭に対しては厳格な態度で臨むべきです 』 ドキリ。 いきなり休憩時間に戸田先生の叱咤パンチの2連撃を受けたのです(ご指導を二度見しました)。(いやはや休憩になりません) 確かに。。 そのような心が奥底にあったんだ と感じます ( それがあった、と感じる理由は、このご指導を受けた時に”どきり”としたため。そして軽い反発(これは私にあてたことじゃないよな、考えないでおこう、、とういう増上慢の気持ち)が生まれたためです )。 諸天善神が(SNSという姿に化けて)届けてくださったのです。 すぐに反省しました。 そして、この後の題目で、私の心にある奥底が「広布のため」なのか「私自身の浅い欲を満たすため」なのかを変えねばなりません(もし奥底が私事ならば(広布のためでなかったならば)過去の創業体験(のうち、負けたことのある経験)上、何をしても最終的に負けます)。 そして、今のこの投稿(日記)に至ります。熱々の気持ちのまま、この投稿を書きなぐっています。 でも、、ありがたいことです。 「信心については、必要な情報がぱっと顕れる」現象...

鞄の中の「ブラボーわが人生」の力

「ブラボーわが人生」という書籍が、第三文明社から出版されています。 私はたいてい本屋や聖教新聞で新たな本と縁するのですが、この本との縁は少し特殊でした。 ●はじめに 私は新たな仕事のため上京しました。そして、仕事の成功をご祈念しようと信濃町にでかけました。そして(コロナ禍の前でしたので)信濃平和会館で勤行をあげました。 2Fである程度満足するまで勤行した後、1Fにあるフリースペースでお水を頂いていました。そして、偶然お水を飲んでいる時に、その壮年部の方も水を汲みにいらっしゃいました。せっかくなので雑談を楽しもう、と思い私は声をかけました。 ●壮年部との交流 私「こんにちは、私はxxから来ました。あなたは地元の方でしょうか?」 壮年部「いえ、宮崎県からきました」 そこから少し色んな雑談になりました。その中で私は「何かオススメとされている本ありますか?」と。すると壮年部の方がかばんの中から「ブラボーわが人生」を出しました。 そして、48ページをお開きになり「死は衣替え」の箇所をお話になりました。 私は、このフレーズが気になりました。そして、どういう内容なのだろうか?と思いました。「この箇所(死は衣替え)がなぜ心に残っているのでしょうか」 すると、壮年部の方は自身の体験談をお話くださいました。 ●壮年部の体験談 壮年部の人は、「私の母が他界したときのことですがね」と話を初められました。 そのお母さんは、自身(壮年部)とその弟さんのことを気にかけておられた。 しかし、その弟さんは信心が薄かった(していない)ようです。 そして母の通夜の時に、壮年部と弟さんは、母の顔を見ながら「題目を2人ではじめてあげた」と。 すると、他界しているはずの母の肌が、どんどん艶っぽくなっていった(若返っていったように見えた)。その姿を見て、壮年部と弟さんはびっくり。美しい相だったと。 死後硬直で固まっていた腕も、その硬直が解けてゆったりした姿になられた。 その変化を目の当たりにした、弟さんは、その後信心を始めたそうです。 母は死しても息子(弟さん)を折伏したのでしょうか。 それを、壮年部の方は熱を帯びながら目を輝かせながら。迫力のあるお姿でした。 私は素直にその話を信じました(ですからこの話が頭に残り、このような場で投稿ができています)。 私は、ブラボーわが人生のタイトルを見ると、この宮崎県の壮年...

同苦する前の心構え

●いつの新聞? 2022年3月12日(土) ●どのページ? 12ページの記事「WITH あなたと」 該当記事 ※無料の聖教新聞電子版で閲覧可能です。 ●記事概要 作家・絵描きの坂口恭平(きょうへい)さんが開設された「いのっちの電話」についてです。開設理由は、本家本元のいのちの電話はかけてもなかなかつながらなかった。だから僕がやろう!とされた。 ツィッターで自分の電話番号を公開したと。そのことに対して本紙(聖教新聞)のインタビューア)が多くのことをお聞きしております。 ●私の感想 私は、このような電話相談があることを初めて知りました。 「 いのちの電話(一般社団法人 日本いのちの電話連盟) 」さんの存在(以下からアクセスできます)の個人版を目指されておられる人がすごい!と思いましたの本ブログで取り上げました。 ここで目に止まった箇所は坂口さんの 『でも、自己犠牲はやらない。』 です。 このお考えって、 日蓮仏法の「同苦→抜苦与楽」のことを言い換えておられる、 と。 私は以前同じように窮地の人をなんとか励ましたいと思い動いていたことがあります。しかし、なかなかうまく私自身動けていない(成果がでていない)。 そして、 私はとある創価学会員にこのこと(窮地の人を励ましたい)を相談しました。 すると、このように言われました 「ageofsokaさん、そのような窮地の人との接し方は、同苦です。苦しんでいる心をしっかり受け止めてみようとする。実際にはすべて受け止めれるものではない(AGEOFSOKAさんとその方は違う人なのだから)けど、真剣に受け止めようと聴くのです。その姿勢を伝えるのです」 私は、思いました「すでにしてますよ・・・」と。 しかし、その方はさらにこう言いました。 「ただし、 同苦する時にAGEOFSOKAさんが理解しておく原理 があります。それは、 同苦した相手の今の心が(AGEOFSOKAさんの)縁となり、自分自身もその縁から同じ心が出る、という原理 です。その心がでてくるということを注意していないと、 無意識に同じような行動を選んでしまう恐れがある のです」 と。目からウロコでした。そのとおりでした。同じように「一緒に苦しむ」だけ、です。そして、だんだんと私自身も苦しくなっていたことに気づきます(だって、私が相談を持ちかけたくなっているのですから)。 突き放す...