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【体験談】扇子の縁(えにし)

●はじめに

一昨日、金剛堂へ訪れました。

自宅の御本尊様の前で、題目をしていると「扇子が欲しい、無性に欲しい」という思いに駆られたのです。

私は、日常で扇子を使っていませんが、なぜか、そう思い立ったのです。

そして、電車に乗り、扇子を買いにいきました。


店に到着した時、店員さんとおばあちゃんがテーブルで会話してました。私を含め計3人。

私は店の中を1廻り。目的の扇子を入手しました。


レジにもっていくと、店員さんがコーヒーを出してくれました。

少し休憩しようと、おばあちゃんが座っているテーブルの前の椅子に腰掛けて温かいコーヒーを楽しみます。


●会話

おばあちゃんと目があいました。笑顔で答えると、会話が何気なく始まりました。

「どちらからきたんですか?」と。雑談開始です。


何してる人なの?学会員さん?

こちらの方ですか?いつもこのお店にいらっしゃるんですか?などなど。

素性の探り合いから始まり、受け答えなどの人となりを交流しながら掴み合います。


するとおばあちゃんが、ポロッと言いました。

「宗教ってなんでしょうか?」と。

「おっ、」と思いました。

初対面の見ず知らずの男性である私に対し、かなり、突っ込んだことを話題に選ばれておられる。

「何か、、抱えておられる。何かを話したがっている」

姿勢を正し、おばあちゃんの目を見ながら、体を正面に向けます。

「聴く準備、整えました」をアピール。

おばあちゃんの声を待ちます。

再び深く言いました「宗教って、なんでしょうか?」



●宗教ってなんでしょうか?

ぼやっとした質問です。ですので、この質問をする意図は何か?をひっぱりだすことを目指しました。


まず、「宗教」という概念についての共通認識を揃えようとします。私にとっての当たり前を、確認して土台作りを行う。「宗教って、人それぞれの価値観で見え方違っていると思います」と。

すると意外な反応「それぞれ、そうですよね。。」と。

ん!?その部分で共通認識が違っている。

(言い換えますと、このおばあちゃんは人それぞれではない=単一である、と認識されている?)


唯一神(絶対神)のように日蓮仏法を捉えられておられるのか?

それとも日蓮仏法以外の宗教との縁に悩まれておられるのか?


すぐさま話を変えます。相手が切り出しやすそうなキーワードを並べてみます。

「キリスト教、イスラム教、仏教、ユダヤ教」など色々世界には存在しますが、

それぞれ特色って違いますよね?」と切り出します。少しキリスト教やイスラム教の特徴(成り立ち)をはなしましたが、感触が悪い。

そこらへん(宗教の違い)に関心があっているわけではなさそうです。


ということは、日蓮仏法と「このおばあちゃんをとりまく創価学会もしくは創価学会員について」ではないか?

これを話したがっているのではないか?と思いました。口ごもっていて、何か言いにくそう。

パスを出してみます。

「コロナ禍で、学会の活動って変わりましたねー」と。


●どんどん出てくる心の声

津波のようにおばあちゃんが心の声が、外にでてきます。

「子供が成人して、コロナ禍で何か鬱々としているんです」

「10時間唱題って意味あると思いますか?」

「昔はジムとかで体を鍛えていたんですけど、最近衰えて。何も目標がないんです」

「家にいても一人でテレビをぼーっとみてるんです。でも今日は、なぜかこのお店にいこうと思って、足を運びました」

「私は頑固で、幹部の学会員さんの言うことに、反骨しちゃうんです」


どんどん、出てきます。おばあちゃんは、目配せをしながら「もっと出したい」と。

私は、うなずきます。「どうぞ。思う存分」


でます。でます。でます。

「最近、御本尊様に向かえていない。ご飯とお水は交換していますが、題目あげれない。」



●聴いた後に、私はどうする?!

思いました。

「この人は、元々信心強情で学会活動しながらお子さんを育てきった人。そしてその張り合いを失ってしまい、コロナ禍で半分孤立してしまっている人かもしれない。退転状態ではないが、未活状態になっている。しかし、信が無くなったわけではない。生活もできているからベースの境涯も高い(時間的余裕がある)。」


私は自問自答します。

「池田先生!先生ならどう聴き、どう捉えられますか?!急所は、、どこですか!!」

どう、、この方を励まされますか!!」

胸中題目です。


全霊です。

頭が目まぐるしく動きます。(今でも)言葉を思い出せるくらい。

見ず知らずの偶然お会いした、私よりも境涯の高い大先輩を相手に。

闘いです。なぜでしょうか、今しかない!という気がしていたのです。


私はカウンセラー(傾聴のプロ)ではありません。そのような訓練も受けておりません。

しかし、聴いている時、絶対に崩さなかったことが一つあります。

話し相手の目から、自分の目をそらさない。

他のお客さんが店に入ってきても、絶対に。

「聴くこと、いや、あなたの話を(すべて分からなくとも)聴いていることを外してはいけない」

なぜかそう思ったのです。



●おばあちゃんの変化

すると、みるみるうちに、おばあちゃんの顔の血色が良くなってきます。

くすんだ瞳ととじかけていた目が、輝きながら目を広げている相に変わりました。

声のトーンも「ものすごい勢いのボソボソ声」から「ゆっくりした、おちついた声」に。


出し切ったようです。


私の返しのタイミングが到来です。

どうする!?

10時間唱題について、3つの御書を紹介し、本質は回数ではないことを伝えるべきか?

題目が上がらなくなる状態を引き起こしていそうな、(私目線の)魔の働きをお伝えすべきか??

目標達成(お子さんの育成の大功徳)に、気づいてもらうべきか?

(唱題は得をするからやるのに)今、もしかしたら、怖いからやめないって状態になっていませんか?惰性の信心にはまっていませんか?と気づいてもらうのか。


どれが必要なのか。どれも必要な気がする。でも急所でない、気がする。というのも、どれも【頭で分かっているが・・・】で被されてしまうから。相手は信心の大先輩なんだ、理屈じゃだめな気がする。頭で分かっていても、なぜかできない状態に、このような理屈が刺さるとは思えない。。

わからない。。

先生。。


直感に従いました。言葉が勝手にでてきます。

「少し話がずれるかもしれませんが、私は今のお母さんを見ていると、大丈夫だ!と確信しました。瞳が輝いて美しいです。肌も血色がよく赤みが見えて、すごくパワーを感じます」と。


お世辞でもなんでもありません。そのように私の目の前でどんどん変化したからです。


おばあちゃんは絶句しました。

そして、照れくさそうに「お化粧してますから」と。


私は、ニコリとしました。そして、「よろしければ、握手しませんか?」と。

戸惑ったおばあちゃん。しかし、手を差し出してくれました。私は軽く握りました。

「温かい手ですねー」と私。

「柔らかく、優しい手」とおばあちゃん。


会話は終わりました。


●ラスト

そして、当初の目的を達成するため、扇をレジ会計しようとおもったのですが、なぜか数珠も一緒に購入。

私は、扇と数珠を手にして、店を出ようとおもいました。扇は人生で初めて買ったので「この扇を見たら、この会話をおもいだすだろうな」と思い、おばあちゃんに(記念に)触れていただこうとしました。


するとおばあちゃん。「こんなことされたことがないです。。御本尊様に飾ります」と。


「・・・」

「あれ!?(プレゼントすることに、なった!?)」


店員さんも「良かったねー」と。

後に引けません。そのまま「扇をプレゼント」して、お別れしました。


でも、すぐに思いました。

ま、いいか。きっと今の僕には扇はいらないんだな。

当初の予定とは違った、なぜか凄く新しい手にしっくりくる数珠が手に入っているし。

そして、鬱々とされていたおばあちゃんには扇が届いている。


諸天善神の、働きだったのでしょうか。


ま、必要なら、また扇が手に入るでしょ。と。

以上