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正論の効果

●とある人のご意見 「  心が弱った人への「正論の押しつけ」は単なる「暴力」です。動けない相手を追いつめる、優しさとは程遠い行為。 元気な時、 正論は道標になったり、背中を押して勇気を与えてくれる。 心が弱った時、 正論は、うずくまってる身体を、上から押し潰される様なツラさがある。 理想や正論どおりに頑張れなかった事は、自分が一番理解してて、もう十分に自分を責め終わってる。「心の余裕」ゼロの状態。 ●私の見解 おっしゃる通り。そのうえで、もう少し言葉を「変えてみて」本質を探ります。 心が弱っている、ではなく、 「頭」と「心」が分かれている状態、という見方をしてみます。 つまり、 「しなくちゃいけない(と頭でわかっている)けど、できない(という自分を自身で責める)」 自分は(一生成仏抄曰く)、御本尊と大聖人と等しい存在なのだから、自分を責めることは、広義の意味では謗法をしている、ことになる。 ※自分が 御本尊と大聖人と等しい存在とは思えないならば、広義の意味で大聖人のことば(一生成仏抄)を否定することになるため、不信ということになる。 ●結論 正論をかざすほうも、かざされれる方も、御書根本(大聖人がいわんとしていること)という軸で行動を振り返れるようになる(教学)ことが大事かな、と思います。

人数における感情の役割

●はじめに 「  人は、1人になると「孤独感」、2人になると「劣等感」、3人になると「疎外感」を感じる」 という意見を耳にしました。 ●所感 これは「人数が変化すると感情も同時に変化する」という事実を、「苦しさ」で偏向させている意見です。 どれも「苦しい」という面から表現しているから、苦しくなる。 そして以下の事実へ「結論づけようとしている」。 「本当の自立は、一人称だろうが二人称だろうが三人称だろうが、変わらない自分でいる事」と。これはおかしい(変わらない自分などない(はじめの人数による感情の変化という事実を実は否定しているから)。 ●裏側には この発言をする人の奥底にあるもの。 それは「私の意見は価値があるから、私の言うことを聞いてね」。 事実を折り混ぜ「自分の都合の良い方向」へと「解釈する」方法です。 ●対処1 言い返せばいい。心の中で。 「どう変わるかが大事じゃない?というか、私は、どれも「楽しい」と感じれるような自立をしたいんだ」と。 事実を交えた偏向意見の看破+発信こそ、悪を悪と見破る闘いだと痛感します。 ●対処2 逆(マイナスをマイナス化する表現)で打ち消す。 例、 1人になると「(劣等感も疎外感も感じないのだから)劣等感や疎外感を感じたら1人の時間で自身をケアしよう、ケアを助けよう」、 同様に 2人になると「(孤独感も疎外感も感じないのだから)孤独感や疎外感を受けたら2人の時間でケアしよう、ケアを助けよう」 3人になると「(孤独感も劣等感も感じないのだから) 孤独感や疎外感を受けたら3人の時間でケアしよう、ケアを助けよう 」。 と。 ほら、孤独感も疎外感も劣等感の「ケア」は2つの選択肢(味方)があるじゃないですか。 以上

指導力とは

1.結論 大白蓮華(2014年10月)よりの抜粋です。   指導力とは 「題目を唱えることです。 御本尊に 責任を全うしたい、幸福になってもらいたい、と願っている。 それが指導力です。 才覚や策や政治性を指導力というのではありません。」 2.所感 策や要領や効率という「題目をせず、頭で考えたこと」はどうしても、「自身の偏見や執着、境涯をベースとして、自身が無意識レベルで”選択”していることとなる」。 つまり、相手のことを、そもそも鍛錬中の未熟な鏡で見てしまっているから、どうしても凡夫なので、認知のゆがみや狭い知識からの判断が起きる。 御本尊が、ご用意くださった、その人とともに自分自身も成長をさせていただけるチャンスを、スルーしている、とも言えます。 私も肝に命じる。 「その人の幸せと成長を祈る」 「(祈ってでてきたご仏智(= 随縁真如の智)が具体的な行動をお示しになるから)その行動を行う」

消えない苦しみ、消える苦しみ

この信仰をしていて良かったと思えること。 それは、 『何か自分の身におきた時に、どうそれを受け取り、どう行動していったらいいのか』といった、(何か起きた後にも)次のステップに、生命状態をうつすことができる ただ悲観するだけの時間を少なくできる。 確かに、悩みに対してどうしていいかわからないけれども、そのうち、 「何かが起きても、もっともっと自分の中にある力を信じれるようになってくる。私の出せる力はまだまだこんなもんじゃない。必ず私は現状を変えることができるはずなんだ、と」思えるようになる。 ふと思います。 もしかしたら、私は「南無妙法蓮華経と唱え、活動をすることで」 私が私自身の中から湧き出てくる力を、完全に確信できるようになるために、自らが環境をぐらつかせているんじゃないかと。 環境(縁)を自ら動かしていて、もともと持っている生命の中の磁石(悪業からの作用)を表面にだしている。 なぜか? それを乗り越え、環境にぐらつかなくなる心を定まらせるために。 命を鍛え続けて、生命を反映する鏡(心)をより強くキレイに磨こうとしていると。 もちろん、こんなことは誰にもわからない。 人の命(一念)には、必ず自分を引っ張る(磁石のような)「苦しみの元」を必ず携えている、といいますが、今苦しんでいる悩みは、次のどちらなのか? ①私の命の中にある、消えない業が、その時々の変化(環境)に引っ張られて、単純にでてきたケース ②私の命の中にある、消えない業が、妙法に縁して、消すために呼ばれて出てきたケース(転受軽重) 凡人だから、どちらなのか分からないところではあります。 今、目の前にあがってきているその苦しみは、表面上同じような悩みにみえるが、決して同じ結果や報にはならない、ということはわかります。 後から振り返ると。なぜなら、「同じような環境でも、同じように苦しまなくなっているから」。その自分が弱かった環境に対して、無効耐性がいつのまにかついているような。 でてきては祈り、でてきたは祈り。必死にやる。 これ以上はできない、でも、そんな自分を、容赦なく超えてくる苦しみ。 「消えない苦しみ」と「消そうとする行動」を繰り返していく。汚れがどんどんでてくる鏡を磨き続けるようにこすりまくっている。 すると後から振り返ると、その過程を確実に前に進んでいる自分が居て、そして、いつのまにか、想像していた

池田先生が称えられること

 ●一言で結論 世間から称えられることが嬉しい理由は、 「池田先生を称えるに値する行動と成果を蓄積していることで、その地域の「今後の人(未活者、未信心者)」の後押しとなるため」 ●詳細 池田先生が、世間(海外)から称えられること。 うれしい。 どうして嬉しいのでしょうか? (人それぞれではあると思いますが私は)自分が大事にしている人が、世間から認められる。ということもあります。 わたしが好きな、尊敬している先生(多くのことを学び、多くのことを指摘くださり、善の方向へ導いてくださる、温かく厳しいお人)が、笑っておられる姿をイメージでき、私もほっこりするのです。 しかし、 私は、さらに以下のことも嬉しいのです。 ①池田先生が代表 その地域やその業界の人が、「池田先生を称えるに値する行動と成果を蓄積している」ことの証であるから。 その地域や業界の代表という意味で、”池田先生”という1つの形に対して、「その地域やその業界の人」を称えている結果なんだとおもいます。先生の書籍や活躍をお伝えした人もその称えられている一人です。 ②めぐりめぐって 池田先生を称えることで、その地域の「今後の人(未活者、未信心者)」の後押し(援護射撃)となるから。 よりよい「環境(条件)で活動のスタートをきれる」。 これは、「先輩たち活動者が乗り越えてきたおかげ」です。 「同じ苦労をその後輩がしなくてすんでいる」ということに他ならないです。 これが、「国土世間の境涯向上」の道理なんだとおもいます。 「五陰世間、衆生世間、国土世間」が境涯を顕す場。それらの総量で、人の幸せの総量が変わる。死して、その人の功徳が「国土に残っている」という証。 ③地域の会合で 地域で活動を今は表面化していない壮年部がいます。 このひとたちから「私は何もしていないから」という言葉がでてきます。 しかし、私はそうは思っていません。今、この場があること、この場を維持して広げてくださっていること、この「当たり前」は私にとって「ありがたい」ことなのです。 もし先輩たちがいなかったならば、もし私の代まで活動していなかったならば、私はこの場にすらいません。 そのため、私は「この場にいるため」に、前段階に取り組まないといけなくなります(この場をつくる、組み立てることから始めなければいけません) しかし、私はこの場をつくる、くみたてる事なく、

会合の意味

  参加者みんながやる気いっぱいの会合も楽しい。 けれど、 頑張ってる人もこれから頑張る人も、 頑張る気ゼロの人もいろんな人が集い合ってる会合の方が、 人間味があって好きだなぁとも思う。 参加した理由、状況は様々だろうけど、そうした一人一人が「居心地いいな」と思える会合だといいな。

ボイスアクション結果の報告

 5月8日に実施したボイスアクションの結果を、チラシで報告する場に参加。 前回より人通りが少ない(日曜日の10時から10時30分)。 合計10組に声掛けし、3人1チームで、7枚配布した。 警察が来て監視。 議員が一声を始め、旗を掲げてから、チラシ配りをスタート。 ●配布中の気付き。 難しい。という結論 前回と違い、「相手の拘束時間が長い内容」+「議員の声が届きにくい(援護射撃がない)状態」での闘い。 難しい内容(政治)で文字が多い。内容も説明がいる(報告型)なので、時間がかかる。 大きなA4(ポスターのような小さなものがよい)。 「こんにちは」の声が大きく、相手をひかせてしまう。これは「ありがとうございます、など別の声掛けが必要だったかもしれない」 また、並んで歩いている2組の距離が近い時、初めの組に話しかけ断られると、流れで次の組も断られやすい。 また、家族の人(知識豊富)に対して話すと、1人が拒絶すると断られやすい。集団のボスをある程度見極めるような人間観察が必要だな、と思った。 相手を構えさせる服装ではなく、安心感を得てもらうフラットで清潔な格好が必要かと。 また、題目を30分しかあげていなかった。これで終盤息切れをしたり、開始時刻に少し遅れてしまったりと。前回は題目1時間後。準備不足。 しかし、昨日対象が悪かったこともあり、まず「行けたこと」「30分でも題目をあげれたこと」「初陣の女性部に成功体験(数字)を得てもらったこと(ゼロと、ゼロ以外は違う)」はできた。 人に関心を持ってもらう。多くの技術がいる。度胸もいる。場馴れがいる。 多くのことを学ばせていただきました。 初めての出陣(女性部)。声をかける、チラシをみせる、おじき。断られる。の体験。 発声練習(声の大きさを調整)して、笑ってもらった。新聞を見せて、心構えが本気なんだと示せればいいな、とおもった。 声掛けできない。私が渡すことを辞めて、声掛けしますから、続いてください。と。できることをしてもらって、数字を出してほしかった(女性部は2枚渡すことができた)。 ※S尾さんの後輩に当たる人のようで、終わった後、どうだった!?。男子部の人に助けてもらい、私は何もできなかった、でも2枚渡すことができた。と。 その体験をお手伝いできて、私は、嬉しかった。 ●Yリーダーの、終わった後の褒めがうまい 「どうでしたか?

新しく仕事のお誘いを受けたら?

 このような体験を頂きました。 目からウロコの点があり、ご紹介します。 ●仕事のお誘い Aさん「お久しぶりです!広告の仕事でBさんに相談というか、力になってもらえないかなと! どこかで一回お話できませんか?」 ※フラットな感じですね。そして単刀直入でシンプル。広告のクリエイティブのファーストビュー、謳い文句です。 ●この後の行動(ゴール) 「仕事内容」を話し合い、「受ける、受けない」を決め、相手に伝えること。 ●そこまでの進め方は? 基本は、傾聴。相手が話しやすい雰囲気づくり。笑顔。 そして、相手は事情と課題を抱えている、ということ。 ①その事情(=前提条件)の把握   報酬費用、納期、欲しい物、助けてほしいサービス。 ②課題なのか、問題なのか?   どういう立場(資本家目線、経営者目線、実務リーダー目線、担当者目線)からの課題か? ●傾聴する、ということ 「池田先生とトインビー博士の対談集、池田先生と松下幸之助の人生問答集」という書籍。池田先生の会話の引き出し方、相手との認識を合わせる流れ」などを読み、疑似体験して、師匠ならどうするか、を少しでも考え実行したい、と思っています。 以上