私がもし座談会で御書講義を行うならば、以下のようにお伝えしようと思います。
(過去の大白蓮華、聖教新聞を参考として)私の個人的見解も含まれております
●スクリプト
大白蓮華の52ページを開いてください。
今回の拝読御書は、 四菩薩造立抄(しぼさつぞうりゅうしょう)です。〇〇が御書講義にチャレンジさせていただきます。
御文(おふみ)です。
そうじて にちれんが でしといって
ほけきょうを しゅぎょうせん ひとびとは
にちれんがごとくに しそうらえ
さだにもそうらわば
しゃか たほう じっぽうのふんじん じゅうらせつ
も おんまもり そうろうべし
●通解(つうかい)です
そうじて にちれんのでしといって ほけきょうを しゅぎょうするひとびとは、
にちれんのようにしなさい。
そうするならば、しゃかぶつ たほうぶつ じっぽうふんじんの しょぶつ
じゅうらせつにょ も かならず しゅごされるであろう
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このお手紙は、1279年に58歳の日蓮大聖人が山梨県の身延山中から
千葉県の弟子の中心者である富木常忍へ送ったものです
そして、今回の範囲ですが、その前後である御書の内容がかなり関連しているのでそちらをご紹介します。
新版御書では1338から1341ページに該当しており、3つの章から構成されるお手紙です。今回の拝読御書は2章です。
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1章は、富木常忍からの
「末法につくられる像(末法の釈尊や四菩薩の像)はいつ建立されますか?」
という質問に対して、大聖人がお答えされています。
「末法の初めに菩薩のリーダーが出現して造立する。そして大聖人がその菩薩のリーダーである」と。
(そして、このお手紙の前に、大聖人はすでに曼荼羅本尊を顕したと「勧心本尊抄」にあります)。
いつ建立も何もないのです。像の認識が違っているということです。いわゆる「"モノ”信仰になってしまっている」。
富木常忍たちは、己心の”外”に法を求めようとしている節が見られるのです。
つまり、富木常忍たちは大聖人からずれてしまっている状況なのです。
おそらく、富木常忍やその周りの弟子は
「鎌倉時代当時の他の宗派の仏像乱立の状況に影響を受けて、他の宗派のような人型の像がないと思い込んでいる。日蓮大聖人とは違う、独自の説(”モノ信仰”)に傾きつつあった」ことが推察されます。
同じページの御書内に「もっての他のびゃっけんなり」(偏っていて道理にはずれた見識だ)というように、何度も厳しく諌めらておりますこともその推察を後押ししています。
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このような背景の中、今回の拝読御書に入ります。
2章として、
富木常忍の周りの弟子たちに対してご指導されています。
日蓮の弟子として法華経を修行する人々は、日蓮のようにしなさい(独自の偏っていて道理に外れた見識はやめなさい)と。
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そして、3章は、富木常忍から報告された「さんみぼうにちぎょう」という人の死去に対して触れられています。新・人間革命29巻32ページによりますと、千葉県出身で才知に長けた方だったそうですが、アツハラの法難で退転し、不慮の死を遂げました。
大聖人は「(退転してしまったが)その方の死去が不憫だ、諸仏よ、この人をお迎えするように」と、退転した元弟子も包み込もうとされています。
●私の見解になりますが、
今回の拝読御書の通解ですが、「日蓮の弟子といって法華経を修行する人々は、日蓮のようにしなさい」と、ずれてしまっている弟子たちに言い含められたのです。
また、この御書では、大聖人は像をつくれ、つくるなとはおっしゃっていません。おそらく法華経の修行の本質では無いからだと思います。
しかし、この初めの「仏像はいつつくられますか?」という問い、私達、今の学会員は答えられるのではないかとおもいます。
「え、仏像つくって意味あるの?自身の中にある仏界を取り出すんだから、外になんかないよ!?(趣味か何かで仏像風アクセサリーでも作りたいの?)」と。
なぜでしょうか?
それは、戸田先生のおかげなのです。獄中の悟達で「法華経は生命の働きを顕しているんだ」と悟られ、我々はその目線から信仰をスタートできているから、なのです。
富木常忍やその周りの人達は、この目線に至っていなかった。だからモノ信仰という己心の外に法を見ようとしたのです。
戸田先生の凄さ、、改めて感じました。我々に「生命の働きなんだ」という目線を教えてくださっているから、質問自体がおかしいなー(的外れだな)と思えるのです。
そして、、このお手紙、我が身に振り替えた時、ヒヤリとさせられました。自己流の信心をするな、師匠についていけ!。当時の富木常忍たちに日蓮大聖人がおっしゃったように、私にも3代会長たちがおっしゃっているように感じました。
このようなチャレンジの場を与えてくださり、ありがとうございます。
何か私にびゃくげんがありましたら、ご意見お待ちしています。
以上です