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富木尼御前御返事(ときあまごぜんごへんじ)



 <はじめに>

日蓮大聖人から富木常忍の奥様(尼御前)へおくられたお手紙です。

富木常忍が大聖人の所へ、他界された母の遺骨をもって訪れました。

その時、富木尼御前(奥様)は具合が悪い状況でした。

その帰り道に富木常忍にこのお手紙をもたせました。

一家のお母さんで、お嫁さんで、義理の母を介護して。


<私の視点>

このお手紙(新版御書の1316~1317ページ)を読んだ時に、アレ?!と感じました。

それは富木尼御前を名指しでお手紙を書かれている、という点に。

富木夫妻宛ではなく、です。

大聖人のなされたことです、何か理由があると思いました。


まず、この手紙を受け取った時の状況を整理してみます

①(奥様)は体調を崩していた

②夫がそのタイミングにいなかった(日蓮大聖人の元へ訪れていた)

③夫の母(奥様から見て義理の母)が亡くなっている、ということは奥様が介護をされていた。


次に、大聖人から届いたお手紙の内容(少し砕いた表現で)を整理してみます。

①矢が飛ぶのは弓のおかげです、夫の活躍は妻のおかげです。

②夫をみれば妻もわかる。夫が訪れてきたということは、妻のあなたも訪れてきているとみています

③夫(富木殿)が言っておりましたよ「母上が亡くなったのは悲しいですが、妻が手厚く看病してくれたおかげで、その臨終の姿がよかった」と。大変喜ばれておりましたよ。

④病がある人でも世の中の無常(この時、蒙古到来中)にはさらされる。そのときには、今心配をしていない人も、心配せざるをえなくなるだろう。

⑤私達は(妻のあなたも)必ず仏になること疑いはないから、何の心配がありますか。釈尊の義母(まかはじゃだいびくに、というTHE婦人部)に続いていっていってください。題目です。すべて題目です。


<私の感想>

これら(状況と内容)を考慮していますとみえてくるものがありませんか?

大聖人が「今までの尼御前の心労」を汲み取られております(その場にいないのにこれだけのお手紙を書けるのですから)。

そして「これからの尼御前の心労」を和らげようと、励まそうとなされている。

大聖人は、かゆいところに手が届くというか、一番その奥様に必要な言葉を選んで届けられている(実際に、尼御前がそこを気にしていたのかは私にはわかりません、しかし大聖人はピンとくるものがあったんじゃないでしょうか)

だから、2回も3回もあなたのおかげなのですよ、と繰り返すお手紙になっています。

しかも奥様が病気なのに、そこを中心に励まされてもいないわけです。どちらかというと隠されている心労は「富木常忍(夫)との関係」があるように思えます。

つまり、妻の心、富木常忍知らず。

病や世の中のこと、それに加えて義理のお母様のこと介護し看取られていた奥さまを励ますと同時に「富木常忍(夫)よ、奥様に自分の親を介護してもらっているならば、ちゃんと奥様に感謝の気持ちを伝えなさいよ!」と。


大聖人がいかに繊細でよく見ておられるか、温かいお人です。

お手紙にお人柄がにじみ出ております。

ですから、私は御書をよむのが大好きなのです。


<以下、ジョークでございます>

きっと、尼御前は思われたことでしょう。

「そのとおりです、大聖人様。頑丈な弓(妻)がないと、矢(夫)なんて飛ばないんですよ!というか弓がありゃ、なんだって飛ばせるんだよ。日頃の陰の頑張りにちょっとでも感謝しなさいって、大聖人様も言っているでしょ」と。


きっとこのお手紙を富木常忍(夫)も読んだことと思います(読まされたことと思います)

富木常忍の心、いかばかりか笑。

いや、現代と変わらないですね。夫と妻、今も昔も変わらないわけです


以上