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指導力とは



1.結論

大白蓮華(2014年10月)よりの抜粋です。

 指導力とは

「題目を唱えることです。

御本尊に責任を全うしたい、幸福になってもらいたい、と願っている。それが指導力です。

才覚や策や政治性を指導力というのではありません。」



2.所感
策や要領や効率という「題目をせず、頭で考えたこと」はどうしても、「自身の偏見や執着、境涯をベースとして、自身が無意識レベルで”選択”していることとなる」。

つまり、相手のことを、そもそも鍛錬中の未熟な鏡で見てしまっているから、どうしても凡夫なので、認知のゆがみや狭い知識からの判断が起きる。

御本尊が、ご用意くださった、その人とともに自分自身も成長をさせていただけるチャンスを、スルーしている、とも言えます。

私も肝に命じる。
「その人の幸せと成長を祈る」
「(祈ってでてきたご仏智(=随縁真如の智)が具体的な行動をお示しになるから)その行動を行う」