(法華経の24品目である)
妙音菩薩品第二十四(みょうおんぼさつほんだいにじゅうし)の一箇所を読んだ、私の感想です。
1.内容
妙音菩薩品第二十四より一部抜粋します。
『妙音菩薩は、さまざまに変化し身を現して、この娑婆国土にあって多くの衆生のためにこの経典を説く菩薩だ。一切衆生にそれぞれ知るべきものを得させる方法を取るのだ。もし声聞の形でもって救済できる者には、声聞の形を現して法を説く。
縁覚の形で救済できる者には、縁覚の形を現して法を説く。
菩薩の形で救済できる者には、菩薩の形を現して法を説く。
仏の形で救済できる者には、仏の形を現して法を説く。
このようにそれぞれ救うべき者に随ってその者のために形を現すのだ。
さらに滅度(死)することによって救済できる者には、滅度(死)を示現す。』
2.感想
これを読んだ時、思いました。これって、牧口先生と戸田先生の関係なんだ、と。
戸田先生はおっしゃったと伺っています。
「牧口先生の慈悲は私を牢獄へ連れて行ってくれた」
牧口先生は滅度をもって、戸田先生を「私は地涌の菩薩だ。法華経を思い出した」境涯になされた。
もし牧口先生が軍部弾圧に屈していたり、牢獄で退転なされていたら、戸田先生は「獄中での覚醒をなされていたのだろうか」と、おもいます。
戸田先生は獄中で一度牧口先生にお目にかかるというシーンがありますが、戸田先生は牧口先生の存在があってこそ耐え抜くことができ法華経を身でよむ機会を維持できた。
言葉じゃないですね。頭で理解でもない。「信じるとはこういうことだ!」と身をもって実践され、それを戸田先生が受け取ったんですね。
戸田先生が覚醒されたことを、牧口先生は生前では知り得なかった。師匠って、、すごいです。
以上