「人のため、社会のために」というフレーズを目の当たりにします。
「人のため、社会のため」と言いましても、と感じることがありました。
どういうことなのでしょうか?
掘り下げてみましょう。まず、以下のケースを4つに分けれます。
(A)「多くの人」が持つ「深い」悩み を対象として解決する行為
(B)「多くの人」が持つ「浅い」悩み を対象として解決する行為
(C)「少数の人」が持つ「深い」悩み を対象として解決する行為
(D)「少数の人」が持つ「浅い」悩み を対象として解決する行為
(多くの少数のはその悩みを抱えている人が多い環境なのかどうか、
その悩み自体の優先度(緊急性×重要性)の高さで表現)
では、悩みを対象として解決するって?
その悩みを生み出している欲求(心的な面 OR 体的な面)を対象として、
(1)ゼロからプラス ( 0→1)
(2)マイナスからゼロ(-1→0 )
に変化することだと思います。(1)(2)ともにプラス方向に進んでいますが、悩みとしての深さは(2)が深いです。
キーワードは解決は変化の一種だということ、そして深さが違うということ。
困っていることが困らなくなる((2)のケース)方が、特段困っていないことがより便利になる((1)のケース)より解決したい。人間はそのようにできています。
ですから、ご本尊に向かって祈っていると宿業(過去にマイナスとなってしまった悩み)が顕在化してくる。(2)のケースに該当するので、本気になれるのです。
そして、変わる。それも自身の想定していた値より多く。
いいかえると、
御本尊に「悩みをぶちまけながら、どうなりたいか!のイメージを決めて、祈りまくって、(祈り中にでてきた具体的な行動計画を)行動する」と
(3)マイナスからプラス(-1→0→1 )
へと変化する
それをこのブログで、私の実体験の内容で、擬似的に体験いただけたら私は嬉しいです。