最近、 御本尊様に向かって題目をすると、ふと思います。私の感覚が題目中の短い時間で、変化していくなぁ、と。以下のように変化していきます。
①題目前 :1時間もするのかー(渋々。でも決めことだし、5分でもいいや)
②題目中(悩みが隠れている時):1時間でいいのか
③題目中(悩みが顕れている時):1時間しかできないのか(まだ満足しきってない)
自身ので、題目の捉え方(深さ)が変わるということを、段階に分けて振り返りました。
そして、この感覚の変化に伴ってだんだんと自身の中からエネルギーが湧いてきます。
私の中から、何か(エネルギーと表現せざるを得ない)が、どんどん出てきます。それを1時間上げきると、「あ、エネルギー溜まってる!」と確実に感じれます。そして行動したくなる。
だから、私は、この効果を有効に活用しようとしています。歴戦の猛者(題目の鬼)ではないので、エネルギーを貯めるのにひーこら言ってますから。使い所が大事なのです。
どのシーンでこのエネルギーを使いたいか!?
一番有効に活用する場面はやはり、他者との交流時。
出てきたエネルギーを、大事な人との時間を作るために使い切ろう、と決めます。そして足りなくなったら補充(題目)。
具体的には、大事な人に会う前に題目をあげておきます。
すると、私自身の準備が整うのか、心が落ち着き、その人と関連のないことでイライラしなくなります。
きっと、声を出す、一点を見るため集中する、呼吸を浅く速く、深くゆっくりと整える。体の姿勢を正す、といった身体的な効果も得られるのでしょうか、心だけではなく、体も動くための準備が整います。
生命の汚れ(雑草取り)を取ることと表現できますが、
心身に余裕が生まれることで、無意識の行動に丁寧さが生まれます。とっさのことにも余裕のエネルギーを使うため崩れません。
だから、生命力あふれる姿で、人と出会う。自分の機嫌を自分で取ろう、と心がけております。これが、次に勝つ因を創っていると思います。
(逆に、生命力が少ない状態で人と会うと、自分のことばかりになりがち。次に負ける因を創ってしまっていると思います(その人が心の底からもう会いたくない、と思われてしまうと思いますから)
一日に、複数の人と交流する場合は、移動中に胸中題目です(カロリーメイトを食べて一時的に栄養補給するが如く)。