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鎌倉時代のすてきな女性部




私が座談会で御書講義した内容です。

5分程度で終わることを目指し、大白蓮華とは異なった視点からまとめたものです。


●私の視点

「(大聖人からお手紙を頂いた)妙一尼(みょういちあま)という婦人部に焦点(主人公)」をあててみました。色々調べてみますと、素敵な婦人部の方です。

私は、信心が深くて、けなげな印象を受けました。すぐに妙一尼のイメージが整ったので、そこに合わせて学んできたことを立体的に組み合わせて講義内容を構成しました。


●御書講義内容

よろしくおねがいします。〇〇です。

本日御書講義にチャレンジさせていただきます。

大白蓮蓮華の46ページになります。

それではまいります。


みょういちあま ごぜん ごしょうそく。


●ごもん

「ほけきょうを しんずるひとは ふゆのごとし。

ふゆは かならず はるとなる。

いまだ むかしより きかずみず ふゆのあきと かえれることを。

いまだ きかず ほけきょうを しんずるひとの ぼんぷとなることを。

きょうもんには

「もし ほうを きくことあらば ひとりとして じょうぶつせざることなけん」

ととかれて そうろう.


●つうかいです

法華経を信じる人は冬のようなものである。冬は必ず春となる。昔から今まで、きいたことも見たこともない。冬が秋に戻るということを。同じようにいままで聞いたことがない。法華経を信じる人が仏になれず凡夫のままでいることを。

経文にはもし法を聞くことがあれば、一人として成仏しないひとはいないと説かれています。


●わたしの見解

さて、この後の大百蓮華とは少し違う角度からお話させてください。

このお手紙は、1275年に54歳であられた、日蓮大聖人から鎌倉在住の妙一尼に送られました。

そのお手紙の前に、妙一尼の夫は大聖人の竜の口の法難や佐渡流罪の時に、所領を没収されるなどの難を受けました。そして、夫は大聖人の佐渡流罪がご赦免になられた報を聞く前に亡くなりました。

そのため、妙一尼は、夫に先立たれ幼い病気の子を抱えて生活が苦しい状況にあったと。その中で大聖人が佐渡流罪をご赦免されて身延に戻られたことをお祝いしようと、ご供養を大聖人に送られました。衣一枚とありました。きっとお手製の衣なのでしょうか。

そして、大聖人は、この大変な状況で信心に励む妙一尼に対してこのお手紙を送られ、「厳しい冬もやがて温かな春となるように、この仏法を信じているあなたは必ず苦難を乗り越えることができますよ」と渾身に励まそうとされています。


温かなお手紙です。


少し前の話なのですが、大白蓮華2017年2月号の巻頭言の末尾で、池田先生が妙一尼に姿を重ねられたのでしょうか、一人の婦人部の姿を伝えてくださっていました。

今回、そちらを改めてご紹介します。

池田先生は「あの大阪の闘いの折、関西本部の勤行会に幼子を連れ、遠慮がちに後ろに参加していた母がいる。夫の失業や姑の介護に直面しつつ、地区の太陽として、かたつむりのような歩みでも苦しむ人と一緒に勝ちたい、皆に功徳をうけさせたい」と戦ってくれた。その誓いどおり、自他ともの幸福勝利を飾られた。幼子らも大学教授となり後継の道を歩んでいる」と。

私は「冬は必ず春となる」という御書が好きです。そして、このような御書が私の目に届くまでの長い歳月、妙一尼は大事に保管されておられたからこそ。だと思います。

妙一尼の信心がこの有名な御書となって、時間を超えて国を超えて、届いていて、これからも届き続けることに、ものすごさを感じました。とんでもないカタツムリですね、冗談です。

お聞きくださりありがとうございました。

以上です。