私は、以下のように考えて年一回、広宣流布のために自由に使っていただけるお金を寄付しています。その中で身で読んだ(行動したことにより得られたもの)をご紹介します。
①(私自身の中にある)お金への執着との闘い
お金を使って、本当に欲しい物を集める。お金は道具だからです。そして、大事なものです。実は、欲しい物のほとんどはお金で手に入りません(見かけ上は手に入っているようにみえます)。
ですから、本当に欲しい物を手に入れる補助としてお金を使う訓練が必要なのです。
(どういうことかといいますと、私はお金がほしいのではなくお金をつかうことによって得られることがほしいのです。私はお金コレクターではない。しかしなぜかお金ばかりみていると見失ってしまう生命のクセがあります。このクセとの闘いです)。
②私が会館を利用するための必要経費
私自身を鍛えるため、そして鍛えられている人と出会うための場所です。また、地域の緊急避難所でもあります。
この場所(駐車場もあり、申請をすれば自由に利用できる大きな、きれいな設備は、私の生活の中で必要だと思っているからです。
③大きなお金(法人などのレベル)を使う練習
私は法人としてのお金の使い方を決める時期がありました。
法人としてお金の使い先を決める場合、いくら使うと同じように大事な「どこに使う」という要素で頭を悩ませていました。いくら使うを決めるのは私自身(法人代表として)ですが、「どこに使う」は協力会社さんとのサービス契約にあたります。
ですので、「必要なお金が揃っている」 且つ 「お金を使う先が良縁である」必要があります。しかし、大きなお金を使う経験不足でしたので、費用対効果が悪く、結果、私の法人の助けにあまりならない」ことを身を以て知らされました。
(例、プログラマが成果物を納期以内に完成できていないな)
だから、「(この法人が持つ)お金の使い先(縁)がすごく良くなる」ことが必要です。
経営的には、(十如是の一側面を強調している)ノーゲイン、ノーペインの原則と言ってもいいでしょうか。
④まとめ
つまり、「お金を十如是の法理」に当てはめてみますとこのような働きをしてくれます。
広布のためと目的を決めて、手段としてお金を使うと、
お金自体の境涯(価値)が変わり(如是力)、同じ金額でもより良い品や協力会社のサポートと交換できるようになります(如是作)。
そして、お金を使ったことにより、自身と相手と社会の3方良し(如是報)となります。
だから結果的に自身が潤います(如是果)。
そして、これらの働きは連鎖します(如是本末究竟等)。
また、自分自身のお金を持っていられる要素(如是因)と、お金が必要となるきっかけ(如是縁)も変わっています。
これこそ、お金の十如是の原理。
P.S.
コツは、広布のために先に使ってしまう、こと(もちろん題目は必須です)。
するとその使ったことによる「空き」を諸天善神(世の中の不可思議な働き)が埋めようとするのでしょうか、(不可思議なのですが)この連鎖が起きるなーと実感します。
(この働きの実証(=私の功徳体験や、他者の功徳体験)がいくつかあります。公開予定です)。